和の呪縛 金子つとむ
和を以て貴しと為しで始まる
聖徳太子の十七条の憲法
日本書紀の記述は
忤(さから)うこと無きを
宗とせよと続きます
つまり
争わないようにしなさい
といっているのです
続く第二条では
篤く三宝を敬え、
三宝とは仏・法・僧なり
とも述べています
聖徳太子は深く
仏教に帰依していました
美術史家の上原和さんは
『斑鳩の白い道のうえに』という
聖徳太子論のなかで
法隆寺が目に見える塔なら
太子は
眼に見えざる、
法という名の、不壊の、
言葉の塔を打ち立てたのだ
と述べています
いつまでも
争いの絶えない世の中―――
むしろ
争いごとを好むような
荒くれ者に対して
仲睦まじいことこそが
尊いのだと
諭しているのです
それでは
争いはどうして起こり
争わないようにするには
どうしたらいいのでしょうか
第一条にはさらに
続きがあります
人にはみな党があり、
しかも悟り得たものは少ない。
だから君父に従わず、
近隣ともうまくいかない。
しかし
上の者が和やかで
下の者も素直ならば、
議論で対立することがあっても、
おのずから
道理にかない調和する。
そんな世の中なら
何ごとも成就するだろう。
平たくいえば
人は誰しも未熟だから
しばしば争う
そのことをわきまえ
仲良くすることを心掛ければ
道理に叶う方法が
みつかるというのです
十七条の憲法は
もともと
官吏の服務規定だったと
いわれています
官吏が従うべき心の法―――
その達成すべき目標が
和の世界だったのです
どんなときも
波風を立てないことが
いいことだという
和の呪縛に
私たちは囚われています
私もずっとそうでした
しかし
ほんとうにそうなのでしょうか
第一条には
上の者が和やかで
という条件があります
これは
とても民主的な考え方では
ないかと思うのです
上の者が権威を盾に
威張らなければ
下の者も反発することなく
自然に素直になれるでしょう
勝手な解釈ですが
互いを尊重して話し合えば
解決の糸口は見つかるはずだと
太子は信じていたのでは
ないでしょうか
それは
正に集合知
誰もが未熟者であるという
自覚と謙虚さが
互いの考えに
耳を傾けさせるのだと―――
太子のいう
和の世界とは
道理に叶った
調和のとれた世界なのです
もともと
この憲法の根本には
仏教の精神があります
それは慈悲の心です
上の者が
慈悲の心を失えば
力の濫用が
人々を苦しめるでしょう
そのとき
和は既に損なわれている
のではないでしょうか
その和を取り戻すために
ときには立ち上がることも
必要でしょう
そうでなければ
見せ掛けだけの
強制された和が
続くだけです
私たちの
和の範囲が
家族や友人・同僚などの
小グループから
国や世界へと
広がってゆくとき
私たちはこれまでの枠を超えて
地球市民になることが
できるはずです
宮沢賢治も
述べています
世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ないと―――
太子の教えは
賢治に流れ
さらに
9条の精神へ
核兵器禁止条約へ
そして世界の恒久平和へと
連なっているのでは
ないでしょうか
二〇一九年四月二八日