言葉の仕掛け人      金子つとむ

     

天は人の上に人を造らず、

人の下に人を造らず。と云えりと

伝聞を述べただけの福沢諭吉の言葉は

いつの間にか本人の言葉のように誤解され

世の中に流布してしまいました

恐らくこの文言と『学問のすすめ』という題名が

不可分のように思われたからでしょう

僕も長い間そう信じていました

しかし福沢にはもう一つ

驚くべき主張があったのです

     

明治18年彼は『時事新報』に

社説『脱亜入欧論』を発表しました

しかし今では

『学問のすすめ』程には知られていません

それはアジアを脱して欧州を見倣え

日本がアジアの覇者になれという

檄文のような文章でした

現代人の視点で兎や角いうつもりはありません

しかし当時の人々にとって福沢といえば

「脱亜入欧」の人だったと思うのです

     

戦前の日本を鼓舞した言葉は

戦後は封印され福沢諭吉といえば

『学問のすすめ』の人になったのでしょう

1984年には一万円札の肖像画にもなっています

しかし僕らが「脱亜入欧」を忘れてしまっても

決して忘れられない人々がいたのです

日本軍の侵略を受けたアジアの人々です

紙幣の最高額面の肖像画が福沢諭吉というのは

近隣諸国の人々にとっては

只事ではなかったはずです

     

言葉には流行りすたりがあります

それは自然発生的にそうなるのでしょうか

それとも誰かの意図によるのでしょうか

睡眠時間を惜しむ程の猛勉強家であった福沢諭吉は

西洋の言葉を積極的に翻訳しています

殊に新しい概念の移植は容易ではなかったでしょう

彼の翻訳した言葉には

西洋・自由・家庭・幸福・社会などがあり

『福翁自伝』には次のような

面白いエピソードも残されています

     

コンペチションと云ふ原語に出遭い、色々考へた末、

競争といふ譯字を造りだして之に當箝め」、約を

仕上げて手渡すと、その人はこれを見て、しきりに

感心していたが、「イヤ、ここに争といふ字がある。

ドウモ、これが穏やかではない、ドンナ事であるか」

と尋ねた。(中略)「成程、爾う云へば分からない

ことはないが、何分ドウモ争ひといふ文字が穏やか

ならぬ。是れではドウモ御老中方へ御覧に入れる

ことは出来ないと云う。

その人はいったい何を怖れたのでしょうか

     

その幕府の重鎮は

言葉の力を信じる一方で怖れてもいたのでしょう

言葉には言霊が宿ると信じられていた時代

その言葉が相争う社会の到来を予言していると

直感したのではないでしょうか

流通する言葉によって時代が共有するイメージが

作られていくのでしょう

「脱亜入欧」の論者は「学問のすすめ」の人となり

「政治責任」はいつの間にか「自己責任」となり

「陰謀」は「陰謀論」にすり替わっています

     

新自由主義のために

自民党は「自己責任」を流行らせたのでしょう

自助・公助・共助という時の自助も

そのバリエーションにすぎません

言葉自体に悪気はなくても

「政治責任」をかき消すために使われたのなら

そこにはやはり企みがあるといえないでしょうか

一説によると

「陰謀論」という言葉は

CIAが広めたといわれています

     

言葉には人を信じさせ従わせる力があります

あのコロナパンデミック時に

三密・ウィズコロナ・自粛要請と矢継ぎ早に

繰り出された言葉をよもや忘れてはいないでしょう

戦前の「鬼畜米英」が戦意を高揚させたように

今では「プーチンは悪魔」といった言葉が

西側諸国の人々の怒りを増幅させています

しかしそれは西側メディアの用語にすぎません

背後には言葉の仕掛け人がいることを

僕らはけっして忘れてはいけないのです!

     

                 2024.9.28